瞑想を始める
瞑想履歴
3月20日から瞑想を始めています。
理由は、生きていることに違和感、疲れなどが生じたためです。
3月20日に
瞑想を夜に5分程、1セットを行いました。
3月23日に
瞑想を夜に3分程を3セット行いました。
3月24日に
瞑想を夜に5分程、1セットを行いました。
瞑想とマインドフルネスと坐禅の違いを知りたいと思い、ネットで調べてみました。
瞑想(めいそう、英:Meditation)とは、心を静めて神に祈ったり、何かに心を集中させること、心を静めて無心になること、目を閉じて深く静かに思いをめぐらすことである。この呼称は、単に心身の静寂を取り戻すために行うような比較的日常的なものから、絶対者(神)をありありと体感したり、究極の智慧を得るようなものまで、広い範囲に用いられる。
神に祈ったりすることも瞑想の意味に含まれるのですね。
マインドフルネス(英: mindfulness)は、今現在において起こっている経験に注意を向ける心理的な過程であり[1][2][3]、瞑想およびその他の訓練を通じて発達させることができる[2][4][5]。マインドフルネスの語義として、「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること」といった説明がなされることもある[6]。マインドフルネス(mindfulness)という用語は、パーリ語のサティ(sati)の翻訳であり[7]、サティはいくつかの仏教の伝統における重要な要素である[8][9]。仏教の教えにおいてマインドフルネスは、人を苦しみからの完全な解放や悟りと呼ばれるものへと徐々に導いていく自己認識や智慧を発達させることに役立っている[8]。近年の西洋におけるマインドフルネスの流行は、概してジョン・カバット・ジンから始まったと考えられている[10][11]。
マインドフルネスは、神的要素を排除した、瞑想といった感じでしょうか。
坐禅(ざぜん、座禅とも)とは、仏教で姿勢を正して坐った状態で精神統一を行う、禅の基本的な修行法。
坐禅はMeditation(瞑想)と翻訳される場合があるが、眼を閉じて思考する瞑想と坐禅は別概念である。 なお、『ヨーガ・スートラ』に説かれる古典的な意味でのヨーガ(瑜伽)も、坐禅と同じようなものである。対になる概念として、立禅や動禅・歩行禅・経行(きんひん)などがある。
坐禅は、修行的要素が強いと思われます。
自分は、そういった、瞑想系の行動を起こすことで何を得たいのかを考えたとき、
・日々穏やかに過ごす
・トラブルが起こったとき、冷静に対処ができる
・ヒステリックにならない
等のメリットが得られると思い、瞑想系の行動を起こすことにしました。
ですので、厳密に自分が得たい目的に適した瞑想系の行動は
マインドフルネスであることに気づきました。
神に祈るわけではないですし、修行をしたいわけでもありません。
となると、心の平安を求めるに適している行動は
マインドフルネスであることに気づきました。
では、どのような方法でマインドフルネスを行っているかをまとめてみます。
①姿勢をだだす
②呼吸をゆっくりにする
③注意のコントロール
上記の方法はメンタリストのDaiGoさんが提唱するマインドフルネス瞑想の方法です。
それにしても、なぜマインドフルネスにこだわるのだろうか?
マインドフルネスを知ってから今までに何度も始めたり、辞めたりを繰り返してきました。
それでも、よりよい人生にするためにマインドフルネスにこだわるのは、
タダで、身体一つでできて、だれでも、どこでも短時間でできることです。
人生を変える為にこれ以上の方法はないと、考えたからです。
経て
5月21日現在まで
マインドフルネスは毎日継続中です。
また、いろいろ記事にします!